森田童子に寄せる想い

ボクが一番好きなシンガーです。高校2年から3年になる春休み(昭和55年,1980年)に、友だちから借りた久保田早紀のテープの裏面に、たまたま森田童子の『マザー・スカイ』が録音されていました。これが、森田童子との最初の出会いです。暗い(この表現が適切だとは思わないが、その当時のボクの言葉ではこうなります。また、暗いという言葉は今でも好きです)曲も好きだったボクは、中学生の頃から山崎ハコが好きでよく聴いていました。そこで、友だちの「B面に録音してる森田童子は暗いけどいい曲だよ。」と言う言葉に耳をくれず、久保田早紀の方ばかり聴いていました。つまり、森田童子には興味はなく、暗い曲を書く一番好きなシンガーは山崎ハコだったわけです。ところが、春休みも終わり受験生となった4月20日、ラジオ大好き少年だったボクはラジオ大阪OBCの『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』と言う番組を通して森田童子の『セルロイドの少女』を聴き、森田童子の世界に引き吊り込まれることになりました。森田童子の詩には安全カミソリのような鋭さがあり、言うに言えない淋しさと悲しさがあるように思いました。また、その中でその苦しみを表現してくれる優しさがあるように感じました。それはまさにぬかるみの世界であり、心地よいものでありました。

森田童子は1975年にポリドールよりデビューしました。ファーストアルバム『グッドバイ』の帯には「いまポリドールの新しい個性が生まれる」と記されています。そして、毎年1枚のペースでアルバムを4枚リリースしました。その後、ワーナーパイオニアに移籍した際にポリドールからリリースした4枚のアルバムは『幻の名盤 森田童子全集』として再発されました。この『幻の名盤 森田童子全集』のジャケットはポリドールから出たそれぞれのアルバムジャケットをモノクロにしたものでした。また、『幻の名盤 森田童子全集』にはおまけとして、森田童子のサイン色紙が入っていました。これは、印刷ではありますが、ボクの宝物のひとつです。