雑誌「ラジオマガジン」1983年2月号でのインタビュー記事(2000.11.28.up)

 1983年1月17日 月曜日,大学生のボクは次の講義まで時間があり暇だったので友達と大学構内の共済会の書店に行った。もともと,ボクは本を読む習慣が全くなく,マンガも全然読まない。当時,買って読む本といったら「タウン情報おかやま」くらいであった。そんなボクが友達に誘われて本屋に行って,たまたま手に取った雑誌が「ラジオマガジン」という雑誌だった。本は読まないが家にいるときはいつもラジオか音楽が鳴っている状態だったから,この本くらいしか見てみようと言う気にならなかったのかも知れない。
 表紙は松田聖子が笑った写真で,「桑田佳祐がアメリカ永住を決意!?」の文字が大きく書いてある。その本を手に取り,パラパラとページをめくって思わず手が止まった。「ラジマガINTAERVIEW 水島裕 AB'S 高部知子 森田童子」。本当に運命的な出会いであった。その記事を下に記す。

「青春の影を五線のキャンバスに描く詩織人」
 ”個から個へ”のミニ・コミ方式で全国を歌い歩く異色の女性シンガー
                                      森田童子

  7年前,太宰治の小説と同名のアルバム『グッドバイ』でデビューした森田童子が,2年振りに新作LP『夜想曲』をリリース。人前で話すのが苦手でインタビューは1年に1度くらいしか行わない,という彼女が,珍しくその素顔を見せてくれた。
 映画「ブリキの太鼓」の主人公オスカルは,成長することを自ら拒否した少年であった。森田童子に,そのオスカル少年がオーバーラップしてならない。
『グッドバイ』,『マザー・スカイ』,『ア・ボーイ』,『ラスト・ワルツ』そして今回の『夜想曲』。どのアルバムを聴いても,青春の影をひきづりながら,時代の流れをせきとめた空間の中で,生き続けている彼女がいるからだ。うまく大人になりきれずにガラス細工のような危ないナイーブさで,内的世界を見つめている彼女の姿が浮かぶ。
 アルバムを一枚発表するたびに「もう,これで終わりかな…」と不安を抱かせるような,ギリギリのところに追いつめられて歌っている彼女を感じる。2年前,「このまま若い日が終わるのなら,せめて最後にラスト・ワルツ…」と歌った3年振りのアルバム『ラスト・ワルツ』を聴いたときなど本当にそう思ったものだった。ところが,今回,そんな懸念を吹き飛ばすかのように,新作が発表された。が,やはり,不安は消えない…。
 これまで,数えるほどしかインタビューに登場していない彼女に,ようやく会える日がやってきた。彼女は約束の場所に一人で来た。トレードマークになっているボサボサのカーリーヘアーはそのままだが,サングラスをはずしている。一瞬,意外だった。だが「ファンの人に声をかけられるのが嫌だから,普段はサングラスをしない。だって,街を歩いているときに,声かけられたら,私,困っちゃうもの」という言葉に,簡単に納得。
 注文した紅茶が運ばれてきた頃ニュー・アルバムの話が始まった。
「今の時代で,あまりにも不確かになってしまったもの。たとえば愛とか。そういったものを,もう一度たぐって突きつめてみたいと思ったんです。人間がプリミティブなものとして持っている心情の機微を,人形芝居でたどって見たらどうなるんだろうと考えた。人形って,ぎこちない手足を動かしながら,もどかしいくらいに抱き合う。もどかしいくらいに泣くわけでしょう。生身の人間が同じことやるより,すごく切ない。そういった人形たちに,人間の心情の機微を吹きかえて,簡単な言葉と簡単な動作で表現してみたかった。それがテーマです。」
 想像以上に,彼女は饒舌だった。いや,饒舌というより,躁状態に近い。自分で一生懸命,気持ちをたかぶらせているようでもあった。
「私,決して人が嫌なんじゃない。異常なんです。一度接するとその人の後をついて行きたくなっちゃうの。だから,嫌いとは違うんだなァ。昔は,対人恐怖症がひどかった。親に人見知りしていたぐらいだから(笑)。でも,基本的には,やっぱり,こんな事(インタビュー)できないタイプでしょうネ。人と会うときって,すごくアドレナリンが出るの。異常な高ぶりになっちゃうの。でないとしゃべれない。だから後が大変。興奮しすぎて夜眠れなくなるんです。一年に一回ぐらいで十分です。こういうものは」
「一番ホッとするとき? そうですネ。単純作業をやっているときかな。草むしりとかネ(笑)。私,一人で,延々とやってますよ。」
「ステレオなんて持ってませんよ。あまり聴かないから。テレビはあります。夜,テレビをつけていないと眠れない。地方に行くと,ホテルで,テレビをガンガンつけて,電気をコウコウと明るくして寝るの。でないと不安でダメなんです。真っ暗だと頭の中に目ができちゃって,こわくて」
「私,寝台車って大好き。電車のゴトン,ゴトンという音が胎内の音に似ている気がして,すごく安心できる。よく眠れるの」
「私,チューニングができないんです。それはどういうことなのか調べていったら,人の話を理解していないからできないんだって,言われました。人の話を理解していたら自然にできてくるものなんですって」
 こういった断片的な会話に,童子の素顔が見え隠れする。彼女は高校半ばにして,不幸にも胸をやみ,転地治療という形で3年間を北海道で過ごした。その時代,'60年代末期は,学園闘争が激しく吹き荒れていた頃だった。
「私は何もできない。動けなかった。私の歌は,周囲を見ていた自分の意識の投影なんです。人も風景もどんどん変わっていく。たけど自分だけが同じ所にいるような気がして…。何もしていなかった時間を,どうやって経験してきたか。こうなって欲しかった。多分こうだったんじゃないかという想いが,私の一つのエネルギーになっているんです」
 多感な思春期,そして青春時代。彼女は何もできなかったという焦燥感と孤独感のはざまで時を過ごしてきた。そのこだわりが,彼女を歌へと向かわせた。女系家族の中で育ち,女の嫌な部分,泥々した部分を見すぎてしまって女を感じさせる女性は苦手になってしまったと語る彼女。その事が影を落としているのか,彼女の歌は「ぼく」という少年の目を通して語られる。その目は,純粋で過激で,カミソリの刃のように鋭く光っている。そして,どこまでも透明だ。
 彼女は,聾唖の児童劇によく足を運ぶ。
「手足を使わずに,普通の人と同じように言葉にならない言葉,たとえば”アッー”という音だけで意志を伝えるんだけど,ものすごくリアリティがある。きれいなものを見ても,きれいだネって言えないわけ。でも,ただ”アッ…アッー”というそれだけで,言葉以上の感動がある。どもりだとか対人恐怖症とか失語症の人達が,非日常的な舞台のうえで,日常的な自分を越えようとする。その瞬間が素晴らしい。本来,人間も,そうした言葉と言葉の間の部分で一番大事なものを通じさせてきたのではないか,と思うんです」
「コミュニケーションなんてない!」「もし,感動を伝えるとするなら個から個へ伝わるものでしかありえない」「人はそれぞれが崇高な孤独を持っていればいい」こうした彼女の言葉を聞いていると,彼女こそが本当の意味でのコミュニケイトにこだわり続ける人なんだ,と逆説から見える気がする。それも人間,本来が持っていたプリミティブな意味で。だから,彼女は言葉を信用できないと言うのだろう。言葉はあくまで言葉でしかないから。言葉に裏切られ,言葉に傷つくことが多いから…。”個から個へ”その言葉通り,彼女の歌はデビュー以来,口コミで伝えられ,全国津々浦々で,ミニ・コンサートが開かれた。そして東京カテドラル聖マリア大聖堂,早稲田小劇場,文芸座ルピリエ,空き地を利用した黒色テント公演,と独自なコンサート空間を作ってきた。失われた青春の残像を拾い集めて五線のキャンバスに描き続ける詩織人−森田童子 31歳。
                     取材/渋江妙子  撮影/追分幹・川上靖雄